<散策ノート>
鶴が舞い降りた谷戸に伸びる坂

平瀬川に架かる神木橋
バス停留所「神木不動」のすぐ横に、「鶴喉坂」の名前と由来が書かれた標識を発見。ここより道路はなだらかな上り坂となり、前方へどこまでも続いています。
後ろを振り向くと、東名高速道路の高架道。その真下には神木交差点があり、そばを流れる平瀬川には神木橋が架かっています。この「神木(しぼく)」という地名。由来としてこんな説話が伝えられています。

等覚院本堂は安政3年(1856)築
「日本武尊が東夷征伐に赴いた途中、喉の乾きに苦しんでいたところ、この地の谷間に1羽の鶴が舞い降り、それによって湧き水を見つけることができました。日本武尊はお礼に1本の木を植え、後にみごとな大木となったその木はご神木と崇められるようになりました」。
説話には続きがあります。「平安初期、ここを通りかかった知証大師円珍がご神木で一体の不動明王像を彫りました。その神木不動は等覚院(とうがくいん)の本尊として祀られ、信仰されるようになったのです」。
神木不動を祀る等覚院へ

風格たっぷりの等覚院仁王門
バス停「神木不動」から鶴喉坂を少し上った右側に、「つつじ寺 神木不動 等覚院」という案内板。道なりに進んでいくと、どっしりとした風格のある仁王門が見えてきます。
「鶴が舞い降りたという谷間は鶴ヶ谷戸と呼ばれていました。説話のもとになった湧水池から以前は清水が湧き出ていましたが、今は少ししか出ていないですね」と、等覚院のご住職が教えてくれました。

開花を待つばかりのツバキ
等覚院は4月下旬ともなると、参道や境内が鮮やかに染まるつつじ寺。冬から早春に咲くヤブツバキ、6月ころ花をつけるボダイジュも美しいと知られ、多くの人々が訪れます。
本堂の暗闇のなかに佇んでいたのは、おびんずるさま(賓頭廬尊者)。十六羅漢の1人で、像を撫でると病気が治るといわれる仏さま(別称「なでぼとけ」)です。目が暗さに慣れるにつれ、左の掌に宝珠をのせた姿が徐々に浮かび上がります。そのお姿に何するわけでもなく、ただ向き合っているだけで、不思議と心は落ち着いてくるのでした。
坂の両側に広がる丘と谷

丘の上にそびえ立つ水道タンク
さて、鶴喉坂に戻り、どんどん上って行きます。右側のところどころに上方へ向かう急な階段。見上げると、丘の上に水色のタンクが立っています。
階段の途中で会ったおかあさんが「ここらへんの住宅街は高い位置にあるから、水を一度高いところに上げないと、一軒一軒の家に水がまわらないんですよ」。おかあさんが12年前に引っ越してきたときにはすでにあったという水道タンク。よし、行ってみようと目指し、思ったよりも難なく着いた大きなタンク施設の門には「川崎市水道局 長尾配水塔」と書かれてありました。

力強く書かれた不動尊の字
坂と階段を下って行くと、バス停留所「五所塚」。ちょうど鶴喉坂の終点です。なだらかな坂を今度はどんどん下って行きます。 坂を隔ててタンクの丘の反対側は谷になっています。この谷間が鶴ヶ谷戸と呼ばれた一帯でしょうか。
1軒の豆腐店の前に「不動尊」と刻まれた石碑。聞いてみると、「等覚院の参道の入口がこの通りにあったんだよ。まわりは一面、農地が広がっていてね。40年ぐらい前だったかなぁ、鶴喉坂の大きな道路が整備されたんだよ」。
榊橋から平瀬川をのぞき込むと、大きな黒いコイの群れがゆったりと泳いでいます。上に水道タンク、下に湧水と川があるこの鶴喉坂。谷戸に湧き出る清水はさぞかしおいしかったんだろうなぁと、想像してみたのでした。
文・写真・イラスト:森田奈央 川崎市在住のフリーライター。散歩が好きで、好奇心のおもむくままに日々歩きまわっている。著書に猫を追いかけて歩いた「ネコ路地へ行こう」(小学館文庫)。
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