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宮前バスの旅

「溝18 鷲ヶ峰営業所前-溝口駅南口」の旅

提供:川崎市
宮前区内を走るバスは約45系統。坂が多い地域でもあり、バスは日常の足として欠かすことができないものです。
そんな移動手段としてふだん利用している路線バスも、のんびり“バスの旅”を楽しめば、窓の外には今まで知らなかった風景が待っています。
毎回、ひとつの路線を始発から終点まで乗車し、気になる停留所に途中下車。そこで出会ったものを紹介します。

路線案内

【運行バス】 川崎市バス
【系統名】  溝18
【おもな停留所】 鷲ヶ峰営業所前-稗原-蔵敷-向丘出張所-神木本町-溝口駅南口(溝18系統には聖マリアンナ医科大学前-溝口駅南口、鷲ヶ峰営業所前-第三京浜入口の運行もあり)
【運行距離】 約7.8km
【経路】 鷲ヶ峰営業所を出て稗原交差点方面へ。稗原公民館前交差点を左折し、蔵敷交番前交差点で浄水場通りを横断。平瀬川に沿ってひたすら直進し、東名高速道路と国道246号を越えたら、終点の溝口駅南口。
【特徴】 蔵敷交番前交差点までは道幅が比較的狭い通りを行く。窓の外には住宅や商店などが続き、時折、畑が眺められることも。鷲ヶ峰営業所前から溝口駅南口への運行本数は多く、朝のラッシュ時には数分おきに発車。利用客もとても多い。
鷲ヶ峰営業所前<br>
鷲ヶ峰営業所前
潮見台浄水場前<br>
潮見台浄水場前
天王下<br>
天王下
堰下<br>
堰下
森林公園前<br>
森林公園前

バス旅記

独特の雰囲気を漂わせる<br>潮見台浄水場給水塔<br>
独特の雰囲気を漂わせる
潮見台浄水場給水塔
鷲ヶ峰営業所前から乗ったバス。次の潮見台浄水場前停留所で、早くも「次とまります」。すぐそばの曲がり角に「神奈川県内広域水道企業団 西長沢浄水場」「川崎市水道局 潮見台浄水場」と書かれた看板を見つけます。
 看板の先のつきあたりで出迎えてくれた門にも上記2施設の名前。ここには停留所名にあった「潮見台浄水場」だけでなく、「西長沢浄水場」も併設されているわけです。
 宮前区発行の「宮前区ガイドブック」によると、「西長沢浄水場は酒匂川から引いた水を処理し、川崎市と横浜市に供給。潮見台浄水場は相模湖や津久井湖の水を処理している」とのこと。右手にすっくとそびえる給水塔を見上げて、敷地のまわりをぐるりと一周します。
西長沢公園。<br>まわりの丘に<br>家々が連なる眺めが壮観<br>
西長沢公園。
まわりの丘に
家々が連なる眺めが壮観
浄水場が広がるこの高台はかつて東京湾を眺望できたため、「潮見台」の地名がつきました。昭和44年(1969)の浄水場建設と宅地造成の際、事前調査で縄文時代早期(約7000年前)や中期(約4500年前)などの住居跡を発掘。中部地方を中心に分布する曽利式の埋甕(うめがめ)も出土し、当時から物の交流が盛んに行われていたことがわかるとされています。
 「潮見台遺跡」と名づけられたこの遺跡を記念するものは何かないのかなと、きょろきょろ探しながら半周したところで「西長沢公園」に到着。浄水場の貯水槽の上を利用して整備された公園で、広々とした芝生広場では野球のジュニアチームがキャッチボールをしています。
 公園からの見晴らしをしばし楽しみ、先ほどの門まで半周。結局、“遺跡を記念するもの”は見つけられませんでした。
三猿が配された<br>八雲神社(天王社)の庚申塔<br>
三猿が配された
八雲神社(天王社)の庚申塔
バスに戻って、ふぅ~とひと息……と休む間もなく、潮見台浄水場前停留所から2つめの天王下停留所に下車。享保年間(1716~1735)、周辺地区の稗原に悪病が流行したとき、天真寺の僧侶が牛頭天王を祀ったと言われる天王社。現在は「八雲神社」となって、停留所の近くに建つ「稗原会館」の隣りに祀られています。
 「平成9年7月建之」と彫られた新しい鳥居の足下には、庚申塔や馬頭観音が5基。享保12年(1727)に造立されたものもあるそうで、長いこと地域を見守ってきてくれたのだなあと思わせる姿に、ありがたく手を合わせます。
天王下停留所周辺に続く<br>サザンカの保存生垣<br>
天王下停留所周辺に続く
サザンカの保存生垣
バス通りに戻って、お? と気づいたのは「保存生垣 サザンカ 川崎市」の標識。よく見れば、歩道沿いに立派な生垣が続いています。美しく刈り揃えられた枝葉のところどころには緑の小さな実がいっぱい。秋から冬にかけてはサザンカの花が咲いて、人々の目を楽しませるのでしょう。
 そして、道路の反対側には「産みたて玉子」の自動販売機。購入ボタンの多くは「売り切れ」マークが点灯していて、こちらも人々をおおいに喜ばせているようです。
平瀬川と堰下橋のそばに<br>立っていた木の看板<br>
平瀬川と堰下橋のそばに
立っていた木の看板
さて、「稗原」という地名。初めて来た人にとって、「ひえばら」とぱっと読むのは難しいような気がしますが(私だけ?)、同じ路線にある「堰下」という地名も、なんて読むんだろう? そこで、堰下停留所でバスを降りて、停留所名の文字を見上げたら、「せきした」と読みがな。あ、川にある「堰」か……。
 そして、目にとまったのは道路の向こうに流れる平瀬川。橋のそばに何やら木の看板が立っています。もしかして「堰下」の地名の由来が記されているのかも? と行ってみれば、残念、看板には何も書かれていませんでした。
 停留所前にある薬店にちょっとお邪魔して、由来をご存知か伺ってみると、「わからないねぇ。30年ぐらい前に平瀬川が氾濫して、それから洪水をふせぐための改修工事が行われたのは知っているんだけど。このへんは全部田んぼで、東名高速道路が開通した頃から徐々に変わってきたんだよ」。
東高根森林公園の湿生植物園では<br>今も稲を育てている<br>
東高根森林公園の湿生植物園では
今も稲を育てている
窓の外に田園風景が広がる様を思い浮かべながらバスに揺られ、下車したのは森林公園前停留所。来た道を少し引き返すと、右側に「県立東高根森林公園」の正面入口が現れました。パークセンターに寄り道して園内で見られる植物や鳥などの写真の展示を眺め、ひと休み。さあ、公園内へと向かいましょう。
 県立東高根森林公園には樹齢150~200年のシラカシ林が自然に近い状態で保存され、県の天然記念物に指定。弥生時代の水田跡が残る「湿生植物園」、弥生時代後期から古墳時代後期にかけての集落跡が見つかった「古代芝生広場」などもあり、古代芝生広場は県の史跡「東高根遺跡」に指定されています。
古代芝生広場。<br>古代の人もこの夕陽を眺めただろう<br>
古代芝生広場。
古代の人もこの夕陽を眺めただろう
「出会いの広場」から散策道を行くと、まわりの「クヌギ・コナラ林」からふりそそぐ虫の音。「けやき広場」ではシートを敷いてのんびり過ごす家族連れ、その奥にある池ではカエルがゴオーゴオーと鳴き、その大きな声にびっくりさせられます。
 湿生植物園の木道をゆっくりと歩き、縄文時代から平安時代の植物が80種以上集められた「古代植物園」をまわり、シラカシ林に囲まれた古代芝生広場へ。ここに住んでいた古代の人々はシラカシで農耕具を作り、湿生植物園の場所で発掘された水田で稲を育てていたと言います。日々の暮らしの場であった古代芝生広場に立つと、思いはいつのまにか古代へと馳せていくのでした。
文・写真・地図:森田奈央 2007年8月に取材しました。
川崎市在住のフリーライター。散歩が好きで、好奇心のおもむくままに日々歩きまわっている。著書に猫を追いかけて歩いた「ネコ路地へ行こう」(小学館文庫)。