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坂道は続くよ、どこまでも

第11回「庚申坂」の巻

宮前区は丘陵地帯に位置し、坂道が多いところ。区内には公募によって愛称が制定された坂道が18カ所あり(昔からの呼び名を持つ坂道も含む)、それらの坂には命名の由来を記した標識がそれぞれ設置されています。
地域の人々に親しまれ続けてきた18カ所の坂道を上って下りて、周辺を散策してみましょう。
<標識に記された坂名の由来>
昔、この坂の近くに「庚申堂(こうしんどう)」があったことから、庚申坂と呼ばれていました。大山参りの人々などが庚申堂に立ち寄り、道中の安全を祈ったと言われています。
平成13年2月1日制定

坂道データ

Data-11

【名称】庚申坂 こうしんざか
【所在地】宮崎、宮崎2丁目、宮崎3丁目
【緯度経度】始点E139.35.45.1N35.35.11.6/終点E139.35.51.3N35.35.13.3
【アクセス】東急田園都市線宮崎台駅から始点まで徒歩4分
【長さ】約173m
【形状】始点より終点までやや急な上りで、一直線。
【様子】両側に歩道があり、イチョウ並木が続く。車道、歩道の交通量は少なめ。自転車の場合、上りはほとんどの人が降車して押していく。
【休憩地】坂下に、「2001年・川崎市宮前区花と緑の街かどコンクール」にて「散歩が楽しい街かど賞」を受賞した花壇があり、それらをゆっくりと眺められるベンチ2台が設置
【その他】静かな環境の住宅街。テニスコートがあり、ボールを打つ音が響いている。電話ボックスあり。
始点
始点
途中
途中
終点
終点
「散歩が楽しい街かど賞」
の花壇とベンチ
「散歩が楽しい街かど賞」
の花壇とベンチ

散策ノート

大山街道の名残を探しながら庚申坂へ

雨どい付きの屋根に守られる庚申塔。
通り沿いに道しるべ
雨どい付きの屋根に守られる庚申塔。
通り沿いに道しるべ
東急田園都市線鷺沼駅の春待坂周辺を歩いて、大山街道の名残をみつけた前回の『坂道は続くよ、どこまでも 第10回春待坂』。今回は梶が谷駅から宮崎台駅近くの庚申坂まで歩き、再び大山街道の名残探しをしよう! と思い立ちました。
 そこで、梶が谷駅をいそいそと出発。改札口から左手へ進み、突きあたりを左折します。『宮前区ガイドブック』によると、この道がかつての大山街道。整備されてまっすぐではなく、くねくねと曲がっているところが旧街道の雰囲気を漂わせています。
 駐車場の傍らに立っていたのは、「西 荏田方面 東 二子橋方面」と刻まれた道しるべと庚申塔。ここを通って多くの人々が大山阿夫利神社へ向かったんだなぁと、んー、実感です。
宮崎大塚には階段が2つ。
供養塔は昭和45年(1970)建立
宮崎大塚には階段が2つ。
供養塔は昭和45年(1970)建立
国道246号とぶつかった後、梶ヶ谷交差点に架かる末長歩道橋を渡り、交差点の脇から南西へ斜めに入っていく細い道へ。住宅に挟まれた道には歩いている人の姿はなく、時折、話し声が建物の中から聞こえてきます。
 家の窓際に干された洗濯物の横を通り、少し広い通りに出ると、右手になにやら小さい山!? 緑に囲まれ、階段が上方へ伸びています。てっぺんに石碑が立っているのが見え、よし、上ってみるか!
 石碑に彫られていた文字は「馬絹大塚供養塔」。お墓なのかな? と『宮前ガイドブック』をめくってみると、高さ約5.5mの円墳か方墳と推定され、「宮崎大塚」と呼ばれていると書かれています。地元では武器を隠した塚とも物見の塚とも言い伝えられ、詳しくは不明。旧大山街道を往来する人々にとって、畑の中に現れる大塚はよい目印になっていたそうです。

戦時中に接収された三ツ又集落に庚申堂はあった

イチョウの足下で
つぼみをつけ始めたアジサイ
イチョウの足下で
つぼみをつけ始めたアジサイ
宮崎大塚の前を直進して右折すると、「宮崎こうしん坂公園」。あ、もう庚申坂の近くまで来ているんだ……。隣の「大塚会館」ではカラオケ大会が行われていて、曲が終わるごとに拍手と笑い声。穏やかな時間が流れています。
 左手に「宮前生活環境事業所」、右手に園芸店、中華料理店を眺めながら行き、宮崎団地前交差点に到着。ここが庚申坂の坂上。下っていくうちに腕の振りが大きくなるので、けっこう傾斜は急なようです。
 両側に並ぶイチョウ1本1本それぞれの足下には、アヤメ、ツキミソウ、マンネングサなど、さまざまな種類の花。アジサイの青々とした葉っぱのあいだからは、つぼみが出始めています。
庚申堂は白い車が
止まっているあたりにあったそう
庚申堂は白い車が
止まっているあたりにあったそう
「旧大山街道はテニスコートの中を通り抜けて、少し先にある階段の方へ抜けていたんですよ。庚申堂はコートの入口のあたりに建っていました」と、坂下のそばで掃除をしていた近所の方。「以前、このへんの地域は『三ツ又』といってね、戦時中、陸軍の演習場として接収されて、集落ごと馬絹へ移転させられたんです。そのとき庚申堂も移されて、今は何も残っていません」。
 その陸軍の東部62部隊は、現在の川崎市青少年の家や宮崎中学校、虎の門病院分院のところにあったそうです。ふと電信柱に表示された地域名を見上げると、白い札に「三ツ又」と書かれていました。

花と茶畑、そしてコーヒー!?

かつてのことを
振り返らせてくれるお地蔵さま
かつてのことを
振り返らせてくれるお地蔵さま
三ツ又集落は花作りが盛んで、東京の花市場では「馬絹の枝物」と有名だったといいます。土の中に掘った室(ムロ)の中に梅、桃、桜などの枝を入れて、自然のものよりも1ヶ月早く花を咲かせる技術は、明治から大正のころに始められたそうです。マンション名に「フローラル○○」「フラワリー○○」などと付けられているのが多いような気がするのは、花に縁のある地域だからでしょうか。
 昭和27年(1952)から東急電鉄の区画整備工事が始まり、地域は住宅街へと変貌。大山街道も姿を消します。あるマンションの前には1体のお地蔵さま。「地蔵尊建立の趣旨」と書かれた石板には、開発によって犠牲となった地域の動植物などの霊を供養するとありました。
PEANUTSの営業時間は10:00~20:00、
火曜・第3水曜休
PEANUTSの営業時間は10:00~20:00、
火曜・第3水曜休
さて、坂下から宮崎第2公園の方へ進んだあたりの台地は「茶畑」という地名だったとのこと。これは富士山の火山灰を含む畑の土が風で飛ばされてしまうため、畑の周りにお茶の木を植えたことに由来しています。
 茶畑の名残を見つけるのは難しいなぁと歩いていくと、お茶ではなくコーヒー豆の焙煎された甘い香りが鼻をくすぐる手作りコーヒー豆専門店「珈琲香味工房PEANUTS」を発見。店内には「ブラジル」「ペルー(マチュピチュ)」「イタリアン」といった各国の名前がついた豆など20種以上が並びます。
 「国のなかでも最も品質のよいものを厳選しています。豆によって焙煎方法を変え、例えば、浅煎りはまろやかなさっぱりした味、深煎りは苦みのあるどっしりとした味になるんですよ」とお店の方。「オリジナルブレンドも数種、用意しています。ブレンドすることで、豆それぞれの個性が引き立ち、味に広がりや奥行きが出るんですね」などなどと伺いながら、ミニテーブル&チェアにて「エチオピア」をごくりと試飲。はふ~と、ひと息ついたのでした。

08年5月に散歩しました。
●参考資料/宮前ガイドブック(宮前区発行)、大山街道(川崎市立多摩図書館)ほか
文・写真・イラスト:森田奈央 川崎市在住のフリーライター。散歩が好きで、好奇心のおもむくままに日々歩きまわっている。著書に猫を追いかけて歩いた「ネコ路地へ行こう」(小学館文庫)。