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かわさきマイスター活動レポート

2009てくのかわさき技能フェスティバル

19人の「かわさきマイスター」が匠の技を披露

飯嶋義弘(いいじま よしひろ)マイスター  時計技能士

世界中の時計が掲載されたムック本をくくりながら、メーカーによって時計の部品機構は全部ちがうと説明してくれた飯嶋義弘さんは、アナログ式時計の複雑な構造に精通した時計技能士です。パーツがない場合は自分で作るなどして動かなくなったものも見事によみがえらせる技術をもっています。これまで世界中のメーカーや時代を経た時計の修理に携わってきましたが、スイスなどで作られるローターで回す高級なゼンマイ時計は、「美術品のようなもの」だと飯嶋さんはいいます。中でもアンティーク時計には根強い人気があり、かなり高価なものでも売れているといいます。何分すすんだ何分遅れたと毎日確認しそれを正確な時間に戻すといった、正確さを期すデジタル時計にはない特徴も魅力の一つ。
飯嶋さんは時計をよみがえらせるとともに、思い出と夢もよみがえらせています。<br><br>
飯嶋さんは時計をよみがえらせるとともに、思い出と夢もよみがえらせています。

アンティーク時計はさまざまな思い出も秘めています。80歳のご婦人が嫁入りしたときに夫からプレゼントされたアメリカ製の古い置時計が、どこの時計屋さんでも修理できず飯嶋さんのところにきました。飯島さんは内部の壊れていたルビーの石の代わりを金属で作ったり、ぜんまいも交換したりして見事によみがえらせました。時間時間にティーン、ティーンと音がする、それをもう一度聞きたかったとご婦人は泪を流して喜ばれたそうです。飯嶋さんは時計をよみがえらせると同時に、さまざまな人に思い出と夢もよみがえらせています。

内海正次(うつみ しょうじ)マイスター  寝具製造

布団作りの流派の一つ富田屋(とんだや)流を継承し、寝具製作1級技能士の資格を持つ内海庄次さんは手づくりの綿布団の製造に従事しながら、ものづくり教室などでその魅力を伝える活動もしています。この日も、25分の1で作った婚礼布団のセットと「かいまき」のミニチュアを展示しながら綿布団にかんするさまざまなことを来場者に説明していました。婚礼布団は、お客さん用の座布団5枚、夫婦用座布団2枚、そして夫妻それぞれの敷布団2枚と掛け布団1枚、それにかいまき1枚のセットからなっています。
肩口まで暖かいかいまきの愛用者は増えているとのことで、ネット上でも毛布やシルク、中には1年じゅう使えるようにとガーゼ素材のものまで見うけられます。しかし、このかいまき、綿を入れた本来のものを手づくりで作るとなると熟練した高度な技術が必要とされます。内海さんはそのかいまきを手づくりすることのできる一人です。全体を1枚の布で作るかいまきは、綿入れのときマチとよばれる脇の下の部分まで先に綿を入れたり、胸が当たる部分は圧迫感を少なくするために綿を薄くしたりと、いろいろな難しい工夫を取らなければなりません。かいまきが作れるようになるには、小僧としてお店に入ってから10年はかかるとのことです。
内海さんは熟練した技能とともに布団についての豊富な知識ももった職人さんです。
内海さんは熟練した技能とともに布団についての豊富な知識ももった職人さんです。
内海さんによると綿入れの布団が普及し始めたのは江戸時代。参勤交代で江戸に来た地方の武士が吉原通いで布団の快適さを覚え、それぞれの国に広めたとのことです。布団について楽しそうにうんちくをかたむける内海さん、熟練した技能とともに豊富な知識ももった布団職人さんです。

只木角太郎(ただき かくたろう)マイスター  洋服仕立て(紳士・婦人)

幸区でテーラーを営む只木角太郎さんはスーツをはじめとするオーダーメイドの世界でその技能技術を発揮しています。当日はマオカラーのスーツの裁断を実演し、来場者の目をとめていました。

オーダーを受けた際に只木さんはまず目でお客さんの体形を見分けます。体系によって似合う生地や色柄がまったくちがってくるそうです。それから生地を決めていきます。生地は何点か見せますが、たいていの人は最初に只木さんが見せた生地に決めるとのことです。最初に見分けるときの只木さんの目の確かさが表れています。それからサイズをはかり、デザイン画を描いてお客さんに見せるという順番をふみます。できあがってきたときの雰囲気のさわやかさや肩がこらないなどがオーダーメイドのよさ。そのために要求される型紙のつくりかたや裁縫の熟練した技に只木さんはみごとに応えてくれます。
当日はマオカラーのスーツ作りの一部を披露してくれました。
当日はマオカラーのスーツ作りの一部を披露してくれました。
只木さんによると、だいたい25年周期で流行は変わるとのことで、いまのパリコレクションも30年前の要素をだしているとのこと。ご自身も流行の要素は加味します。そのため、ファッションショーも行い日々、研鑚を怠りません。服飾学校もだんだんに少なくなっていっている現況ですが、表面的なきらびやかさを追うまえに「基礎を十分につけてほしい」というのが、服飾業界をめざす若者への只木さんのメッセージです。

佐藤榮子(さとう えいこ)マイスター  洋裁(婦人服)

プレタポルテの時代にあって佐藤榮子さんの手がけるオーダーメイドは、すぐれたオリジナルデザインと着心地の良さでお客様によろこばれています。洋服づくりはたいていの場合、素材選びからスタートしますが、目の前の生地からデザインの構想が浮かぶといいます。すぐに裁断しないでまずパターンを作り、そのときにお客様の体形に従って裁断方法を考えるのが佐藤さんのやり方。体形によってどのような裁断をするか決めるのも経験から導きだされた技の一つです。
佐藤榮子さんの手がけるオーダーメイドは、すぐれたオリジナルデザインと着心地の良さでお客様によろこばれています。
佐藤榮子さんの手がけるオーダーメイドは、すぐれたオリジナルデザインと着心地の良さでお客様によろこばれています。
以前は、スタイルブックなどからお好みのものを選んで生地を決めるところから洋服づくりはスタートしたそうですが、プレタポルテの時代になってからというもの、街で実際にできあがっている品物を見て、好きか嫌いか寸法が合うか合わないかなどを判断することが容易になったため、注文服の世界でも「これとおなじものを」というお客さんが増えてきたそうです。洋服選びがより個性的になり、自分に合ったものを身につけるという意識も高まってきたのではないかと佐藤さんはいいます。時代の変化を痛切に感じているという佐藤さんですが、流れはすなおにうけとめつつオーダーメイドの良さを伝えながら後進の育成にも努めていきたいといいます。ただ、「後継者を育成したい気持ちは山のようにもっていますが、時代の流れを考えるとほんとうに好きでないとおすすめできません」とも。

石塚よし子(いしづか よしこ)マイスター  洋裁技能士

石塚よし子さんは神奈川県でも10数名しかいない特級婦人子供服技能士です。長年にわたり蓄積された技術は加工が難しいとされる素材も、その性質をうまくひきだしお客さんの嗜好に合わせた衣服を創りだすことができます。たとえば柔らかく薄いシルクなどは布目を通す作業をしていると動いてしまいます。撫でたりさすったり、経験で覚えてきた手の感覚がその作業を可能にしてしまいます。あまりに薄すぎる場合はトレッシィングペイパーなどの薄い紙を素材の背後に縫いこんで動きを止めたりするそうです。印さえつけてしまえばあとはスムーズ。余裕をもって仕上げていくとのこと。「ゆったりと作業をするのが自分にはあっている」と石塚さんはいいます。
石塚よし子さんは神奈川県でも10数名しかいない特級婦人子供服技能士です。
石塚よし子さんは神奈川県でも10数名しかいない特級婦人子供服技能士です。
細かい仕事なので好きでないと無理なところがあり、後継者の育成もなかなか難しいとのことですが、「教室などで実際に経験していただいき、良さをもっともっと知ってもらえれば・・・」と石塚さんは期待しています。