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坂道は続くよ、どこまでも

第6回「権六坂」の巻

宮前区は丘陵地帯に位置し、坂道が多いところ。区内には公募によって愛称が制定された坂道が18カ所あり(昔からの呼び名を持つ坂道も含む)、それらの坂には命名の由来を記した標識がそれぞれ設置されています。
地域の人々に親しまれ続けてきた18カ所の坂道を上って下りて、周辺を散策してみましょう。
<標識に記された坂名の由来>
この坂の周辺は、昔から「権六谷戸」と呼ばれていることから愛称としました。
平成12年2月1日制定

坂道データ

Data-06

【名称】権六坂 ごんろくざか
【所在地】野川
【緯度経度】始点E139.36.43.9N35.34.9.2/終点E139.36.26.3N35.34.12.1
【アクセス】東急バス「南台団地下」停留所から始点まで徒歩1分
【長さ】約586m
【形状】始点よりやや急な上り。右へ少しカーブした後はストレート。約260m先から右へ大きくカーブ。傾斜は終点まで変わらず。
【道路形態】2車線で両側に歩道があり、ケヤキ並木が続く。始点より右側には住宅や雑木林、左側にはフェンスや建物の向こうに権六谷戸が広がる。交通量はやや多く、急坂を上り下りするエンジンの音が響きわたっている。歩行者はそれほど多くない。
【休憩地】終点に「野川第2公園」。ベンチ6台、ブランコ、すべり台、乗り物(自動車・バイク型)、水道あり
【その他】上りの右側に宮前消防署野川出張所あり。数ヶ所に飲料物の自動販売機があり、水分補給に役立つ。
始点
始点
途中
途中
終点
終点
ブランコがかわいい
野川第2公園
ブランコがかわいい
野川第2公園

散策ノート

権六谷戸に沿ってぐんぐん伸びる坂

さすが植木の里!
園芸店の看板が目立つ
さすが植木の里!
園芸店の看板が目立つ
野川小学校から聞こえる子どもたちの元気な声に圧倒されながら、権六坂の足下へ。坂を上るトラックやバイクが踏み込むアクセル音の大きさに、うん、確かに勢いをつけないと失速してしまいそうな長い上り坂だな。自転車は立ちこぎでなんとか上っていく人もいますが、ほとんどの人がうんしょうんしょと押して歩いていきます。
 ケヤキの並木はどれもがっしりと太い幹で、ところどころに苔を生やしているものも。枝葉は天高く伸び、場所によっては頭上を覆いそうな勢い。歩道のアスファルトがデコボコと盛り上がっているのを見ると、地下を這う根も奔放に成長しているようです。
全長約900mの権六谷戸。
緑が美しい季節
全長約900mの権六谷戸。
緑が美しい季節
坂の左右に「植木 生産販売」と書かれた造園会社の看板や園芸センターの大きな温室。自然環境に恵まれた“宮前植木の里”を実感させられます。
 始点からすぐ左手に広がり、建物や木々のあいだから眺められる権六谷戸。畑にキュウリ、トマト、ナス、カボチャなどさまざまな作物が並び、まわりを雑木林が取り囲む谷戸の風景が残されている場所です。造成され、住宅がびっしりと連なっている斜面もあり、以前の景観とは少しずつ変化しつつあるのかもしれません。

権六谷戸にトウモロコシ畑はない?

権六谷戸では
鳥居や祠を多く見かける
権六谷戸では
鳥居や祠を多く見かける
野川台東バス停留所の手前に、権六谷戸への階段があります。新興住宅地を通り、マンションの建物に沿った小道へ歩を進めると、草むらのなかに赤い鳥居を発見。フェンスで仕切られて入れないので、鳥居の先にあるものを見ることができません。後ろ髪を引かれながらも、再び谷戸へと下りていきます。
 権六谷戸には「権六ととうもろこし」という民話が伝わっています。──「戦国時代、一人の武士が十数人の家来を連れてこの地へ落ちのびてきました。武士は権六と名を変えて農民となり、畑を耕す毎日を送っていました。が、ある日、とうもろこし畑に身をひそめる追っ手の姿がありました。家来たちは全員討ち死にし、権六だけが残されました。以来、権六の子孫はここにとうもろこしを植えようとはしませんでした」。
こちらの祠に
納められているのは庚申塔
こちらの祠に
納められているのは庚申塔
権六谷戸を歩きながら観察してみると、なんと、トウモロコシが植えられていた畑はたった1ヶ所。さらに、その畑に並んでいるトウモロコシは2列のみだったので、追っ手が隠れるにはちょっと適さない様子。今も言い伝えのとおりなのか、はたまた私が見つけられなかっただけなのかわかりませんが、とても気になる調査結果です。ふぅ~む。
 さて、谷戸をぐるりと歩いて気になったものがもう1つ。それは小さな祠。先ほどの鳥居と同じく草むらのなかにあったり、農家の庭先にあったり。階段を上って覗いてみることができた祠には、三猿を彫った庚申塔が祀られていました。

弁天様や稲荷社にいつも見守られている

ひっそりとした雰囲気の
和田八幡宮
ひっそりとした雰囲気の
和田八幡宮
権六坂の反対側の斜面を上って、尾根道へ。中原街道と大山道を結ぶ「横大道」と呼ばれる道です。鬱蒼とした雑木林を目指してみたら、見覚えのある場所。ここは『宮前バスの旅 第5回「鷺02鷺沼駅-久末」』で訪れた和田八幡宮。そういえばあのとき、近くの「子の神停留所」と「稲荷坂停留所」の名前の由来を確かめられませんでした。後で「宮前区歴史地図」を調べたら、停留所のそばにそれぞれ「子の神坂」「稲荷坂」の表示が、稲荷坂のそばには「稲荷社」の表示があることがわかったっけ。よし、行ってみよう!
 ところが、子の神坂の周辺に「子の神」と名のつく社も、稲荷坂のそばの「稲荷社」も、いくら探し歩いても見つけられません。「宮前区ガイドブック」で、野川村の総鎮守であった野川神明社の由緒に「八坂神社と子の神社を合祀した」とあるのに気づき、もしかしたらこれのことかなあ・・・?
弁天様が迎えてくれる
「遊食彩家 串一」
弁天様が迎えてくれる
「遊食彩家 串一」
子の神坂から権六坂へ戻り、野川第2公園から下っていきます。そこで出会ったのは、串焼きと創作料理の店「遊食彩家 串一」の入口に置かれた祠。仕込み中のご主人のお邪魔をして伺うと、ご主人のお母様と奥様の実家が権六谷戸にあるとのことで、「家にあった弁天様を移したんですよ」。権六谷戸の農家では各家に弁天様や稲荷社が祀られていたのだそうです。
 お店を出ると、裏手に鳥居も立っています。なるほど、権六谷戸で祠をよく見かけるわけです。結局見つけられずじまいの稲荷坂の稲荷社も、串一の弁天様と同じように移されて、どこからか人々を見守っているのかもしれません。
文・写真・イラスト:森田奈央 川崎市在住のフリーライター。散歩が好きで、好奇心のおもむくままに日々歩きまわっている。著書に猫を追いかけて歩いた「ネコ路地へ行こう」(小学館文庫)。