川崎36景
川崎には数々の伝説や、言い伝えがあります。
日本神話の中でももっとも武力に優れた英雄のひとりであると言われる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にまつわる話があるのをご存知ですか?
川崎市内にいくつもある古墳の中の、古事記にまつわるという子母口富士見台古墳へ行って来ました。
子母口バス停を降りて、古墳へ向かう道すがら「たちばなの散歩道」という立て看板がありました。
「たちばなの散歩道」は、貝塚や古墳や寺社などをめぐって歩ける、5kmほどのコースになっています。住宅地の中をのんびり歩きながら、歴史を散策することができます。
フェンスもあって「古墳」には見えないような…
「富士見台古墳」の矢印に沿って歩いていくと、小高い、小さな丘になっている場所があります。
ここが、子母口富士見台古墳です。
あ、ちょっと古墳っぽい。
裏側へ回ってみると、小さな山のようにこんもりと盛り上がっているのがわかります。上に上がれるように小道も出来ていて、ベンチもあり、小さな公園になっています。
登ってみるとこんな感じ…
特に何もありません。
雨上がりのせいか、土がけっこう滑るようです。
いくつもの滑ったあとが…
住宅地の真ん中なので、見渡しても家がたくさん見えるという景色です。
「富士見台」とは言っても、それほど高くないので、ここから富士山が見えるのかどうかは「??」です。
きっと昔はここから綺麗な富士山が見えたのでしょうね。
また、ここは春になると見事な桜が咲くそうで、地元の桜スポットにもなっているそうです。
しかしながらこの古墳、いったい誰のものなのか…
立て看板をよく読んでみると、
古墳の下に説明書きがありました。
【説明書きより】
この古墳は、道路に面した麓部が大きく削られていますが、築造当初はかなり大きな円墳であったと思われます。
現在の規模は、墳丘3.7メートル、墳丘径17.5メートルです。
この古墳には、古くから弟橘媛(オトタチバナヒメ)にちなむ話が伝えられています。橘樹神社の社伝では、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)東征の菜、尊の見刈りに海中に身を投じた弟橘媛の御衣・御冠が、この地に漂着しあと伝えています。
また、「古事記」では、「かれ7日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。すなわちその櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」と伝えています。
真偽のほどはともかく、この古墳にまつわる話として興味深いものがあります。
昭和62年10月 川崎市教育委員会
古事記によると、
尊の東征の際、相模の走水から上総へと海で渡ろうとしたところ、荒れ狂う海を前にして、前に進むことが不可能になった。海神の怒りを解くため、弟橘媛は皇子の東征のため入水した。すると波が穏やかになり、船を進めることが可能になった。その後、彼女が持っていた櫛などが、現在の東京湾沿岸に流れ着いた。
と、書かれています。
古墳からほど近くにある橘樹神社には、日本武尊と弟橘媛の石碑が寄り添うように建てられています。
古のころを思い、歴史や伝説をたどりながら散策してみるのもよいのではないでしょうか。
子母口富士見台古墳
川崎市高津区子母口富士見台