地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、川崎市宮前区の地域ポータルサイト「宮前ぽーたろう」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

川崎市宮前区の地域ポータルサイト「宮前ぽーたろう」

坂道は続くよ、どこまでも

第17回「長坂」の巻

宮前区は丘陵地帯に位置し、坂道が多いところ。区内には公募によって愛称が制定された坂道が18カ所あり(昔からの呼び名を持つ坂道も含む)、それらの坂には命名の由来を記した標識がそれぞれ設置されています。
地域の人々に親しまれ続けてきた18カ所の坂道を上って下りて、周辺を散策してみましょう。
〈標識に記された坂名の由来〉
国道246号線梶ヶ谷付近の坂は、かつて「長坂」と呼ばれていました。この坂道は、現在の「青少年の家」周辺が陸軍に接収され、迂回路としてつくられたものですが、「長坂」という名が残りました。
平成12年2月1日制定

坂道データ

Data-17

【名称】長坂 ながさか
【所在地】宮崎、宮崎2丁目
【緯度経度】始点E139.35.54.7N35.35.1.5/終点E139.35.50.7N35.35.12.5
【アクセス】東急田園都市線宮崎台駅から始点まで徒歩約6分
【長さ】約370m
【形状】始点より緩い上り。約180m付近で右へ少しカーブし、角度はやや急に。約270m付近で右へ大きく「く」の字にカーブし、終点へ。
【様子】道幅の広い2車線。上りの右側の歩道は幅が広く、途中に花壇がある。それに対して左側の歩道は狭い。途中で東急田園都市線の高架と宮崎歩道橋の下をくぐる。交通量は多く、路線バスやダンプカーなどの大型自動車も行き交う。
【休憩地】とくになし。坂の途中に自販機あり。
【その他】始点は長坂下交差点、終点は宮崎団地前交差点。終点は「坂道は続くよ、どこまでも 第11回庚申坂の巻」の庚申坂の終点でもある。途中の花壇は「2001年川崎市 宮前区花と緑の街かどコンクール 散歩が楽しい街かど賞」受賞。東急田園都市線の高架下付近に東急バス長坂停留所あり。
始点
始点
途中
途中
終点
終点
坂途中の花壇には
「長坂下フラワー通り」と
書かれた看板が立つ
坂途中の花壇には
「長坂下フラワー通り」と
書かれた看板が立つ

散策ノート

日本が戦争をしていたころにつくられた坂

右側が宮崎中学校で、
その奥が川崎市青少年の家。
左側が虎の門病院分院。
右側が宮崎中学校で、
その奥が川崎市青少年の家。
左側が虎の門病院分院。
名前のとおり、長い坂です。途中まで定規で線を引いたかのようにまっすぐで見通しがよいので、よけいに長く感じられるのかもしれません。傾斜はとても緩やかですが、上っていくと左手に谷が広がり、徐々に高度が上がっていることがわかります。
 終点で庚申坂と再会。かつて、このあたりの地域は三ツ又といい、戦時中、日本陸軍に土地を接収されたという話を「庚申坂の巻」のときに聞きました。また、川崎市青少年の家や宮崎中学校、虎の門病院分院の場所には陸軍の東京管区東部62部隊が置かれたといいます。
 当時、川崎市青少年の家と宮崎中学校、そして虎の門病院分院の間には旧国道246号線(旧県道1号線)が走っていました。その道は急な長い坂だったので、長坂と呼ばれていたそうです。陸軍の駐屯により一般の人は通ることができなくなったため、迂回してつくられたのが現在の長坂。新しい道にかわっても、人々はそのまま慣れ親しんだ名前で呼んだというわけです。
宮崎中学校に隣接する遊歩道。
桜やイチョウの大木が並び、静かな場所。
宮崎中学校に隣接する遊歩道。
桜やイチョウの大木が並び、静かな場所。
宮崎中学校の場所には木造2階建ての東部62部隊の部隊本部、川崎市青少年の家の場所には将校集会所、虎の門病院分院の場所には兵舎が設置。周辺には衛兵所、被服廠、弾薬庫などが配置されました。
 『宮前歴史ガイド』の宮前区歴史地図を見ると、宮崎中学校の位置に「旧軍用施設跡」の文字。その痕跡を記す碑や案内板などはないものかと、まわりをぐるりと歩いてみましたが、なにも見つけられません。
 「碑や案内板はこのあたりで見たことがないですねぇ」というのは、川崎市青少年の家のスタッフさん。ちょうど宮崎中学校の卒業生の方でしたが、学校の敷地内でもそういったものには気づかなかったそうです。

長坂の名の由来をきっかけに過去の痕跡を探して歩く

これは普通の境界標。
軍用地境界標には「陸軍」と書かれている。
これは普通の境界標。
軍用地境界標には「陸軍」と書かれている。
三ツ又の土地が接収されたのは、東部軍司令部直轄の「溝ノ口演習場」がつくられるためでした。陸軍は住んでいた人々に1年のあいだにすべてを撤去し、立ち退くことを命令。人々は移転先を探し、祖先の墓を掘り起こして骨まで移さなければならなかったそうです。
 溝ノ口演習場は宮崎台、鷺沼、向丘、菅生、土橋などの広範囲におよんでいました。演習場となっていた軍用地の境界には「陸軍」と刻まれた石の境界標が埋められ、いまでもあちこちに残されているといいます。
 川崎市青少年の家で見せてもらった資料に、そのなかの1つが宮崎1丁目で見られると書いてあったので、それはどこだときょろきょろ。うーん、これはそう簡単に見つけることはできません。
あやしいレンガの門柱跡!?
左手の木々が見えるところが
宮崎こうしん坂公園
あやしいレンガの門柱跡!?
左手の木々が見えるところが
宮崎こうしん坂公園
東部62部隊の痕跡を探して、再び宮崎中学校の周辺へ。川崎市青少年の家の裏手からは宮崎台駅方面が見渡せ、斜面には実をたわわに実らせた梅の木が並んでいます。
 川崎市青少年の家、宮崎中学校、虎の門病院分院の敷地には桜の木が多く、樹齢数十年と思わせる大木も。当時からのものかなあと見上げながらいくと、宮崎こうしん坂公園のそばのT字路にレンガの門柱跡のようなものを発見!?
 資料の「東部62部隊配置図」では、公園の先の交差点に部隊の裏門が置かれていたとありました。位置がちょーっとハズレているけれど、このレンガ、関係ないのかなあ……!?
 時代が移り変わるとともに、過去の記憶は忘れてしまいがちです。痕跡探しでハッキリとしたものは見つけることができませんでしたが、人々がその名を守った長坂は、いまでも記憶を呼び起こし、過去を知るきっかけとなる坂。これこそ大きな痕跡だなと長い坂を眺めました。

09年5月に散歩しました。
●参考資料/宮前区ガイドブック(宮前区発行)ほか
宮前区ガイドブック(宮前区発行)の「宮前区全図」を参考に、坂道の標識が立っている坂の上り始めを始点、その反対側を終点としました。

文・写真・地図:森田奈央 川崎市在住のフリーライター。散歩が好きで、好奇心のおもむくままに日々歩きまわっている。著書に猫を追いかけて歩いた「ネコ路地へ行こう」(小学館文庫)。

人気のキーワード