地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、川崎市宮前区の地域ポータルサイト「宮前ぽーたろう」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

川崎市宮前区の地域ポータルサイト「宮前ぽーたろう」

坂道は続くよ、どこまでも

第8回「堂脇坂」の巻

宮前区は丘陵地帯に位置し、坂道が多いところ。区内には公募によって愛称が制定された坂道が18カ所あり(昔からの呼び名を持つ坂道も含む)、それらの坂には命名の由来を記した標識がそれぞれ設置されています。
地域の人々に親しまれ続けてきた18カ所の坂道を上って下りて、周辺を散策してみましょう。
<標識に記された坂名の由来>
昔、この坂の近くにお堂があり、この周辺を「堂脇(どうわき)」と呼んでいたことから愛称としました。
平成13年2月1日制定

坂道データ

Data-08

【名称】堂脇坂 どうわきざか
【所在地】宮崎1丁目、宮前平1丁目、馬絹
【緯度経度】始点E139.35.35.3N35.34.58.4/終点E139.35.36.7N35.34.47.1
【アクセス】東急田園都市線「宮崎台」駅から始点まで徒歩2分
【長さ】約380m
【形状】始点よりやや緩やかな下り。約135mあたりから右へ大きくカーブ。終点まで傾斜が一貫して続くため高低差が大きく生じ、上りはきつく感じる。
【様子】両側に歩道がある2車線。車道、歩道ともに幅が広く、両側の歩道にケヤキ並木。終点の手前約45mに矢上川が流れる。日中の交通量は少なめ。
【休憩地】宮前平第1公園。ベンチ4台、ブランコ、すべり台などあり。
【その他】始点から左側には大型マンションが並び、横道が終点まで2本と少ない。始点はさくら坂の終点。終点は尻手黒川道路。
始点
始点
途中
途中
終点
終点
となりは矢上川。
静けさが漂っている
となりは矢上川。
静けさが漂っている

散策ノート

坂の由来となる“昔”にはなかなか出会えない

春のサクラと青空もいいけど、
秋のサクラもね
春のサクラと青空もいいけど、
秋のサクラもね
堂脇坂の最寄り駅である田園都市線宮崎台駅。『坂道は続くよ、どこまでも 第4回 さくら坂』で訪れた「電車とバスの博物館」への通路にはあいかわらず、子どもやおかあさん、おとうさん、おじいちゃん、おばあちゃんたちの楽しそうな姿があります。
 駅前のサクラ並木は黄赤にすっかり色づき、ピンクの花びらに染まる春とはまたちがった趣。落ち葉をかさかさと踏みながら歩いていき、木漏れ日のなかをひらひらと落ちてくる葉を目で追います。
木の実を見つけるのも
楽しい秋の散歩
木の実を見つけるのも
楽しい秋の散歩
花園橋交差点を始点とする堂脇坂。「昔、近くにお堂があった」そうですが、それはいったいどこにあったのでしょう? 坂を行く人に聞いても、「知らないなぁ」「私がここに来たのは30年くらい前だから、わからないねぇ」。昭和41年(1966)に東急田園都市線が開業した後、急速に人口が増加し、都市化したこの地域。“昔”を知っている人にはなかなか出会えないようです。
 宮前平1丁目の公務員合同宿舎宮崎台住宅が建つあたりの字名はかつて「堂脇」。何か手がかりになるものはないものかと、宿舎のまわりをぐるりと歩いてみましたが、これというものが見あたりません。代わりに見つけたのは枝いっぱいに実った真っ赤な木の実。その鮮やかさにおもわず目を見張ります。

お堂はあっちの稲荷? こっちの稲荷? それとも?

宮前平第1公園に
ひっそりと立っている史跡の碑
宮前平第1公園に
ひっそりと立っている史跡の碑
堂脇坂へ戻り、宮前平第1公園でひと休み。木々のかたわらに「史跡」と書かれた碑が立っているのが、ふと目に止まりました。なんだろうと読んでみると、「元名偃武の頃 遠山左衛門尉 此の地に領主となり 天下泰平 萬民豊楽の為 稲荷社を造営寄進し 永年村民崇敬して 明治維新に至る(原文ママ)」。昭和47年(1972)4月に「宮崎土地区画整理組合」によって建立された碑で、「史趾の滅盡することを恐れて 茲に建碑し 後世に其趾を示す」と続けられています。
宮崎第1公園の木々も色づき
散歩にいい
宮崎第1公園の木々も色づき
散歩にいい
もしかして、このお稲荷さんのお堂が「堂脇」の名の由来かな? と考えつつ、堂脇坂を横切って矢上川沿いを行き、坂を上って宮崎第1公園方面へ。するとそこでは、「すぐそこに『目代さん』って呼ばれていたお稲荷さんがあったけどね、いつのまにか駐車場になって、今度はそこにビルが建つんだって」と、また別のなくなってしまった稲荷社の話。つくづく、昔とは大きく様変わりした地域なんだなあと実感させられました。

樹齢約700年の大イチョウが見事に染まる

花供養祭が行われる
泉福寺の花供養塔
花供養祭が行われる
泉福寺の花供養塔
堂脇坂を終点まで下り、尻手黒川道路を横断。創建年代は不詳ですが、弘化4年(1847)に老朽化のため本堂が建て替えられたという泉福寺へ向かいます。買い物客が集う大型量販店のあいだの道を進んでいくと、「←宮前植木の里」の標示板。泉福寺には昭和38年(1963)、馬絹花卉生産組合が建てた「花供養塔」があり、毎年8月17日に供養祭が行われているのです。
 明治の終わり頃、馬絹の吉田仲右衛門という人が1つの発見をしました。それは、「ある日、夕立が降って、大麦のからが濡れてしまった。2~3日後、その大麦のからがほんのりと温まっているのに気づき、この熱を利用して花を出荷する時期を調整することはできないだろうか」と試されたのが、土室を利用した花作りだそうです。大正時代となり、露地栽培されたモモ、ウメ、サクラなどの枝を土室に入れて温め、早く花を咲かせて出荷したところ、馬絹の花作りはたちまち評判となりました。
少しずつ色づき始めた
泉福寺の大イチョウ
少しずつ色づき始めた
泉福寺の大イチョウ
泉福寺には嘉永7年(1854)制作の絵馬「薬師会図」と、安政4年(1857)制作の絵馬「境内相撲図」が所蔵され、川崎市重要歴史記念物に指定されています。また、絵馬にも描かれている大イチョウがいまも境内に立っており、樹齢約700年と伝えられています。
 大イチョウの足元にはほうきを持った小さなお地蔵さま。どこかで見たことがあるなあと思い出したのが、『宮前バスの旅 第2回 城11 宮前平駅-新城駅前』で訪れた影向寺の「乳イチョウ」。去年12月中旬に訪れたとき、境内が黄金に染まっていたっけ。泉福寺の大イチョウも晩秋から初冬にかけて、すばらしい風景に染まりゆくことでしょう。

07年11月に散歩しました。
●参考資料/宮前ガイドブック(宮前区)、かわさき散歩(川崎多摩歴史研究会)ほか